ZULU / ジェローム・サル
原題はズールー。
フォレスト・ウィテカー演じるアリ警部が、ズールー族の人なんですよね。
その原題に、アタイのハートが、紫色になるぐらい(チアノーゼ?)、胸しめつけられた感じです。
言うまでもなく、背景には、南アの実情があるわけだからなぁ・・・。
※ネタバレあるかも。
あらすじ
一人の少女の撲殺事件に端を発し、南アフリカという国が抱える底知れない闇を、手繰り寄せてしまう刑事たちのお話でした。
警部のアリには、壮絶な過去があります。
1994年と言うことだから、アパルトヘイトの末期か撤廃直後、父親を、タイヤネックレスによって焼かれ(同じ黒人による、制裁的なリンチらしいです)、彼自身もエキサイトした人々に追われ、全速力で走ります。
その、アリ少年とてつもない恐怖が、冒頭から描き出される。
そして、アパルトヘイトの撤廃後20年、アリは出世もし、マンデラの言葉を胸に、過去の社会のあやまちを許そうとしています。
母の自慢の息子であり、ブライアンやダンの良き上司としての日々。
しかし、殺人事件の捜査が糸口となって、次第に明るみになる大きな闇が、登場人物たちの運命を変えていきます。
■続き
感想
ともかく、フォレスト・ウィテカーが登場した瞬間、これはヤバイ!と鳥肌が立ちました。
ウィテカーさんの泣き系の顔がハマリすぎてて、全身から、のべつ立ち上っている、幸薄いオーラに圧倒される。
アリ警部が仕事で扱う事件を通して、現代もなお、アパルトヘイトの傷跡が癒えてはいず、人の、社会の奥底で、ひっそりと膿んでいることを見せ付けられて苦しかった。
あくまでも映画、というには、歴史の爪あとがあまりにも残酷で、過去が生々しいのです。
子供の失踪に、目もくれない社会。命とは何か。人種や、貧富や、政治や経済のような何かの運営上の戦略によって、命の重さに差をつける社会とは何か。
映画の途中、部下が死に至るシーンの不意打ちを喰らうのですが、治安が悪いことで有名なケープタウン、捜査も命がけなんだなぁ、と、ショックのあまり身震いします。
そしてアリが、それまで、「かくあろう」とした自分を捨て、本物の敵を追い詰める、砂漠のシーン の凄まじさ。
一歩、一歩、歩く、歩いて、詰めていく。砂漠のロングショット。恐ろしい、砂漠の果てしなさが美しくて、やるせなくて、恐ろしいシーン。
ブライアン
あと、オーランド・ブルーム演じるブライアンが、とてもキャラとして良かったです。
オーランド=レゴラスのイメージが、ガラっと塗りかわりました。
アパルトヘイトは、白人に対しても、傷跡を残していました。
ブライアンの苦悩は、レイシストとして生きた父親を、死後も拒絶しているところにあったようです。
そのブライアンが、父を許すラストは、アリとの関係性を考えるほど、余韻が深まるものになっていたと思います。
アタイの勝手な解釈ですが、レイシストとして生きた、ブライアンの父もまた、重い業を背負わされた、時代の被害者だったのかもしれない。
人は、いろんな事情を持って形成されてしまうので、何人も、善と悪、ときっぱり区別をつけにくいけど・・・・。
黒人同士の小競り合いをけしかけていたのは誰なのか。
人種間の憎しみ合いの背後で利権を得ていたのは誰なのか。
本物の悪魔は、手駒同志に殴り合いをさせて、高みで何食わぬ顔をしている。
というのを、つい考えちゃったりして、あぁ!無情!!とぶるぶるしました。
最後に
歴史上ではえんえんと、あらゆる暴挙がしでかされてきたワケですけど、「現代のリーダーにはモラルがあるから大丈夫」というのを、信用できなくなっています。
アタイは、平和な時代であってこそ、物騒な血糊映画を見るのが好きなんです!
よって、少なくとも、世の中を動かすリーダーには、命を平等に、かつ重く扱うモラルを求めたいモンでございます。
関係ないけど、刑事は、黄色い車に乗らんほうがいいな、と思います。
尾行されるにしても尾行するにしても、黄色とピンクの車だけはナイわ~~。
「ケープタウン」データ
Zulu (2013) フランス・南アフリカ共和国
監督
- ジェローム・サル
キャスト
- オーランド・ブルーム(ブライアン・エプキン)
- フォレスト・ウィテカー(アリ・ソケーラ)
- コンラッド・ケンプ(ダン・フレッチャー)
- ジョエル・カイエンベ(ジーナ)
- インゲ・ベックマン(ルビー)
- ティナリー・ヴァン・ウィック・ルーツ(クレール・フレッチャー)
- レガルト・ファンデン・ベルフ(デビーア)
- パトリック・リスター(ジュースト・オッパーマン医師)
- タニア・ヴァン・グラーン(タラ)